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山本理事長・伊藤院長 対談

山本理事長・伊藤院長 対談

「青山学院の歴史、現在、そして未来」

青山学院の30年後に向けて策定された「AOYAMA MIRAI VISION」。その根底に息づくのは、150年以上にわたって受け継がれてきた建学の精神、時代の変化に応じて教育・研究を発展させてきた学院の歴史です。

あらゆる面で大きな時代の転換点にある現在。この時代をどのように受け止め、私たち青山学院は何を堅持し、何を変えていくべきなのか。今年度新たに就任した山本与志春理事長と伊藤悟院長に「青山学院の歴史、現在、そして未来」をテーマに語り合っていただきました。

〈出演〉山本 与志春 理事長(左)、伊藤 悟 院長(右)  〈聞き手〉鵜飼 眞 常務理事

過去から紡がれてきた青山学院らしさ

鵜飼 「青山学院の歴史、現在、そして未来」をテーマにお話を伺います。長年学院に関わってきたお二人は「青山学院らしさ」とはどのようなところにあると感じていますか。

伊藤 私は厚木キャンパス2期生として学生時代を過ごし、相模原キャンパス開学の前年、すなわち厚木と世田谷キャンパスが閉じられる時に教員として赴任してきました。長い間、接してきたなかで本学は「人とのつながりが密だ」と感じます。お互いを受け止め合う土壌がある。ぶつかるところや議論するところがあっても、ちゃんと他人を受け止めようとする。たとえ、どんなに失敗しようと、やり直すときちんと受け止めてくれる。こういうところはずっと変わらない部分であり、よいところだと感じています。

鵜飼 具体的にどのようなところでしょうか。

伊藤 よくも悪くも優しいところでしょうか。優しすぎて、なかなか突っ込めないところもありますが、優しいからこそ、いろいろな人たちを受け止められる。そういう優しい学生や生徒、教職員がキャンパスの雰囲気を醸し出しています。だからこそ、幼稚園児から大学、大学院生までが集うこのキャンパスの環境を大事に育てていきたいと思っています。

山本 私は公立中学で10年間働いてから本学へ赴任してきました。銀杏並木が彩るキャンパスの美しさに感動しました。礼拝からの帰りに、光を受けたツタの緑の艶やかな葉先が輝いて見える。美しいキャンパスに招かれたことへの喜びと感謝を感じ、今後どんなに辛いことがあろうと、不安に思うことがあろうと、この喜びや感謝の気持ちを忘れてはいけないと心に強く留めました。

そして、この美しいキャンパスで子どもたちが伸び伸びとしている自由な学校だと感じました。公立校は髪型から服装まで校則が厳しかったのですが、本学に来たら、優秀で真面目な生徒が意外にも派手だったりする。今までいかに、枠にはめて判断していたか、その人自身を見ていなかったかに気づかされました。それと同時に、それぞれの個性や違いを表現させない学校ではなく、それぞれが異なるよさを発揮できる学校なのだという印象をもちました。

過去から紡がれてきた青山学院らしさ

鵜飼 「青山学院の歴史、現在、そして未来」をテーマにお話を伺います。長年学院に関わってきたお二人は「青山学院らしさ」とはどのようなところにあると感じていますか。

伊藤 私は厚木キャンパス2期生として学生時代を過ごし、相模原キャンパス開学の前年、すなわち厚木と世田谷キャンパスが閉じられる時に教員として赴任してきました。長い間、接してきたなかで本学は「人とのつながりが密だ」と感じます。お互いを受け止め合う土壌がある。ぶつかるところや議論するところがあっても、ちゃんと他人を受け止めようとする。たとえ、どんなに失敗しようと、やり直すときちんと受け止めてくれる。こういうところはずっと変わらない部分であり、よいところだと感じています。

鵜飼 具体的にどのようなところでしょうか。

伊藤 よくも悪くも優しいところでしょうか。優しすぎて、なかなか突っ込めないところもありますが、優しいからこそ、いろいろな人たちを受け止められる。そういう優しい学生や生徒、教職員がキャンパスの雰囲気を醸し出しています。だからこそ、幼稚園児から大学、大学院生までが集うこのキャンパスの環境を大事に育てていきたいと思っています。

山本 私は公立中学で10年間働いてから本学へ赴任してきました。銀杏並木が彩るキャンパスの美しさに感動しました。礼拝からの帰りに、光を受けたツタの緑の艶やかな葉先が輝いて見える。美しいキャンパスに招かれたことへの喜びと感謝を感じ、今後どんなに辛いことがあろうと、不安に思うことがあろうと、この喜びや感謝の気持ちを忘れてはいけないと心に強く留めました。

そして、この美しいキャンパスで子どもたちが伸び伸びとしている自由な学校だと感じました。公立校は髪型から服装まで校則が厳しかったのですが、本学に来たら、優秀で真面目な生徒が意外にも派手だったりする。今までいかに、枠にはめて判断していたか、その人自身を見ていなかったかに気づかされました。それと同時に、それぞれの個性や違いを表現させない学校ではなく、それぞれが異なるよさを発揮できる学校なのだという印象をもちました。

歴史が示す青山学院の使命

鵜飼 青山学院の歴史の中で一番の転換点だったと思う出来事を教えてください。

伊藤 文部省訓令第12号(以下、訓令12号)に真っ向から対峙したことが大きかったと思います。訓令12号とは1899年に公布された訓令で、宗教教育を禁止したものです。当時院長だった本多庸一先生は、上級学校への入学資格などの特典を捨てることになっても、キリスト教教育を続けることを固持しました。この決断には内部での抵抗もあったでしょう。訓令12号の影響でキリスト教教育をやめた学校がいくつもありました。しかし本学は信仰を貫き通します。このような決断をした青山学院に奉職できることを誇らしく思いますし、この出来事は青山学院のその後を創り上げる起点になったと思います。

その他に、神学科が廃止されたことも無視できない出来事です。1970年代、まだ大学紛争の余波の残っていた時代でした。

山本 訓令12号に反対した決断は、本当に大きいですね。永久にキリスト教信仰に基づく教育を行わなければならないと掲げている本学の建学の精神そのものの出来事だったと思います。キリスト教を堅持するという、信仰の決心は今の学院にもしっかりと息づいています。

もう一つ挙げるとすれば、太平洋戦争時の苦難の時代のこと。当時の設置学校のうち、文学部、高等商業学部、神学部は他校に吸収され、緑岡幼稚園は休園となりました。終戦直後、本学に残っていたのは工業専門学校、女子専門部、中学部、第二中学部、高等女学部、緑岡初等学校ですが、多くの校舎を焼失するなか、かろうじて維持している状態でした。戦後、そこから復興を遂げ、悲願であった大学を創設しました。この青山の地を購入してくれたジョン・F・ガウチャーの「高等教育機関を創る」という想いが結実しました。戦時中になんとしても「青山学院を残そう」と奔走してくださった先達のおかげだと感じております。

歴史が示す青山学院の使命

鵜飼 青山学院の歴史の中で一番の転換点だったと思う出来事を教えてください。

伊藤 文部省訓令第12号(以下、訓令12号)に真っ向から対峙したことが大きかったと思います。訓令12号とは1899年に公布された訓令で、宗教教育を禁止したものです。当時院長だった本多庸一先生は、上級学校への入学資格などの特典を捨てることになっても、キリスト教教育を続けることを固持しました。この決断には内部での抵抗もあったでしょう。訓令12号の影響でキリスト教教育をやめた学校がいくつもありました。しかし本学は信仰を貫き通します。このような決断をした青山学院に奉職できることを誇らしく思いますし、この出来事は青山学院のその後を創り上げる起点になったと思います。

その他に、神学科が廃止されたことも無視できない出来事です。1970年代、まだ大学紛争の余波の残っていた時代でした。

山本 訓令12号に反対した決断は、本当に大きいですね。永久にキリスト教信仰に基づく教育を行わなければならないと掲げている本学の建学の精神そのものの出来事だったと思います。キリスト教を堅持するという、信仰の決心は今の学院にもしっかりと息づいています。

もう一つ挙げるとすれば、太平洋戦争時の苦難の時代のこと。当時の設置学校のうち、文学部、高等商業学部、神学部は他校に吸収され、緑岡幼稚園は休園となりました。終戦直後、本学に残っていたのは工業専門学校、女子専門部、中学部、第二中学部、高等女学部、緑岡初等学校ですが、多くの校舎を焼失するなか、かろうじて維持している状態でした。戦後、そこから復興を遂げ、悲願であった大学を創設しました。この青山の地を購入してくれたジョン・F・ガウチャーの「高等教育機関を創る」という想いが結実しました。戦時中になんとしても「青山学院を残そう」と奔走してくださった先達のおかげだと感じております。

混沌とした今、燭台を掲げる

鵜飼 先の戦争や訓令12号のお話がでましたが、現在、世界で起こっている戦争や移民の問題がある中、キリスト教の立場が揺らいでいるように感じます。むしろ、日本の私学のキリスト教学校の方が、明治時代に宣教師たちが遠い日本に来て説いた真のキリスト教の教えが残っているのでは、とも感じます。現状のキリスト教の立場について、どのようにお考えでしょうか。

伊藤 大事な視点からの問いだと思います。かつては宣教対象だった日本ですが、これからの世界を考えると、本学の出番と言えるかもしれません。本学から世界のキリスト教に発信していってもよいのです。

山本 こうした世界の状況を見て「キリスト教が信じられなくなる」という声を耳にします。辛くて苦しいことです。本学の「平和な世界を造る人をつくりたい」という願いは単なる理想ではなく、実現するための努力が必要です。そのためには発信すること。正しいものとして発信する勇気が必要です。この世界的な現状は試されているのかもしれません。静観していたら、先の戦争と同じこととなってしまうでしょう。

伊藤 キリスト教へ懐疑的だったり批判的だったりした学生が半期の授業を終える頃になると、キリスト教を信仰するところまではいかないまでも、「キリスト教って本当はそうだったの? 悪くないね」と言ってくれるようになります。正しいことをしっかりと伝えることが大事だと思います。ためらわずに語り続けていきたいと思っています。

鵜飼 本学のよさをあらためて実感します。

混沌とした今、燭台を掲げる

鵜飼 先の戦争や訓令12号のお話がでましたが、現在、世界で起こっている戦争や移民の問題がある中、キリスト教の立場が揺らいでいるように感じます。むしろ、日本の私学のキリスト教学校の方が、明治時代に宣教師たちが遠い日本に来て説いた真のキリスト教の教えが残っているのでは、とも感じます。現状のキリスト教の立場について、どのようにお考えでしょうか。

伊藤 大事な視点からの問いだと思います。かつては宣教対象だった日本ですが、これからの世界を考えると、本学の出番と言えるかもしれません。本学から世界のキリスト教に発信していってもよいのです。

山本 こうした世界の状況を見て「キリスト教が信じられなくなる」という声を耳にします。辛くて苦しいことです。本学の「平和な世界を造る人をつくりたい」という願いは単なる理想ではなく、実現するための努力が必要です。そのためには発信すること。正しいものとして発信する勇気が必要です。この世界的な現状は試されているのかもしれません。静観していたら、先の戦争と同じこととなってしまうでしょう。

伊藤 キリスト教へ懐疑的だったり批判的だったりした学生が半期の授業を終える頃になると、キリスト教を信仰するところまではいかないまでも、「キリスト教って本当はそうだったの? 悪くないね」と言ってくれるようになります。正しいことをしっかりと伝えることが大事だと思います。ためらわずに語り続けていきたいと思っています。

鵜飼 本学のよさをあらためて実感します。

サーバント・リーダーとして歩む

鵜飼 今後の青山学院の目指すものについてお聞きします。AI時代の総合学園として、本学は何を目指すべきとお考えですか。

伊藤 本学が育てる人物像にサーバント・リーダーがあります。このサーバント・リーダーという言葉の定着に10年かかりました。では青山学院の目指すサーバント・リーダーというのは一体どういう存在なのか。それをAOYAMA VISIONで明らかにしましたが、最近学生との会話でも「これはサーバント・リーダーの行いだ」といった言葉が自然に出てきていて、具現化しはじめているなと感じます。

本学が変えてはいけないこと、大事なことを押さえつつ、変えるべきところは変えていく。本学にはそういうパワーがあると思います。「自分のためではなく誰かのため」という考えや行いが醸成されていくこと、一人ひとりがサーバント・リーダーになることが大切です。

山本 青山学院が育てていくサーバント・リーダーの具体的なイメージがAOYAMA VISIONで3つのゴールと3つのベースとして描かれました。私は理事長として3つのベースをしっかり整えていきたいと思っています。特に経済的理由で退学する学生をゼロにしたい。休学から退学に至るケースが多いと聞きますので、休学の時に手を差し伸べられるようにしたい。貸与の奨学金を給付型に変えていきたい。折しも国も同様の方策を行おうとしています。本学も国の施策と連携しながら進めていけば、給付型奨学金を充実できると思います。

未来に向けて舵をとる

鵜飼 AOYAMA VISIONの実現や教育連携の観点から今後の方針をお話しください。

伊藤 教育機関として、在校生に何を残してあげるか、何を記憶させるかが、大きな教育のテーマだと思っています。試験が終わればすべて忘れてしまうようなものではなく、心に、精神の中に沁み込むもの、記憶されていくものを教える。その実現のためには環境が大切だと思います。古代ギリシャ語に「エートス」という言葉(「いつもいる場所」という意味が転じ、習慣や習性という意味)がありますが、〝雰囲気〟や〝風〟と言ってもいいでしょう。本学の雰囲気、風、空気を吸い続けることで、自ずと沁み込むものや身につくものがあると思います。卒業後に、身についたその香りが発揮される、記憶されたものが出てきます。それによって社会を、新しい時代をつくっていくことができるのです。いつまでもよい空気を吸うことができる環境にしていきたいと思います。

鵜飼 青山学院に来ると自然と人が好くなる、優しい子に育つことは、本学を卒業した我が子でも実感しています。この空気を強くしていってほしいと願っています。

山本 各設置学校を卒業した時、この学校で学んでよかったと思ってもらえるように、自分の子どもや孫を入学させたいと思ってもらえるようにしたいですね。本学で大切にしてもらえたことや自分の存在が認められたこと、成長させてもらえたことなどを一人ひとりが実感できるようにしていきたいです。知識習得だけであれば、もしかしたらAIを使用したほうが能率的かもしれません。しかしAIからは得られないもの、例えば皆で協働すること、ともに考え、作業していくこと、意見の違いを話し合いで解決すること、お互いを大切にするためにどうすべきか、新しいものを生み出すにはどうしたらいいかなどを考える。そうした学びが、学校に求められるのではないでしょうか。本学は協働して学ぶ場所であり続けなくてはいけないでしょう。

AIやロボットによる仕事の効率化が進み、今後余暇の時間が増えるかもしれません。その時「楽しいと思えること」や「生きがい」が大事になってくると思います。人と共に生きることや芸術・文化・スポーツの重要度が増します。本学の中に文化施設があり、そこでリカレント教育ができてもよいのではと思っています。本学が文化発信の中心となれたらよいでしょう。そして本学だけではなく、青山・渋谷一帯を巻き込んで、スポーツ競技や文化芸術の発信の中心になる。そのようにできたら楽しいですよね。

伊藤 母校愛という言葉がありますが、「母港愛」という表記がよいと思います。一度出て行っても、いつでも戻ってこられる港のような場所となるように、そしてここに来れば何かあるという場所になるように。学生たちの雇用の場や専門性を活かせる場となれればと思います。そして、そこからまた出港していく、外に開いていく港となりたいですね。

山本 学院内が雇用の場となるというのはいいですね。青山学院の理事長も務めた万代順四郎は貧しい家に生まれ、学生時代は学内で働きながら学びました。昔の学生雇員のように、ここで学びながら働けたらいいですよね。労働環境もいいですし、それで学生の退学をなくせたらなおいいですね。

未来に向けて舵をとる

鵜飼 AOYAMA VISIONの実現や教育連携の観点から今後の方針をお話しください。

伊藤 教育機関として、在校生に何を残してあげるか、何を記憶させるかが、大きな教育のテーマだと思っています。試験が終わればすべて忘れてしまうようなものではなく、心に、精神の中に沁み込むもの、記憶されていくものを教える。その実現のためには環境が大切だと思います。古代ギリシャ語に「エートス」という言葉(「いつもいる場所」という意味が転じ、習慣や習性という意味)がありますが、〝雰囲気〟や〝風〟と言ってもいいでしょう。本学の雰囲気、風、空気を吸い続けることで、自ずと沁み込むものや身につくものがあると思います。卒業後に、身についたその香りが発揮される、記憶されたものが出てきます。それによって社会を、新しい時代をつくっていくことができるのです。いつまでもよい空気を吸うことができる環境にしていきたいと思います。

鵜飼 青山学院に来ると自然と人が好くなる、優しい子に育つことは、本学を卒業した我が子でも実感しています。この空気を強くしていってほしいと願っています。

山本 各設置学校を卒業した時、この学校で学んでよかったと思ってもらえるように、自分の子どもや孫を入学させたいと思ってもらえるようにしたいですね。本学で大切にしてもらえたことや自分の存在が認められたこと、成長させてもらえたことなどを一人ひとりが実感できるようにしていきたいです。知識習得だけであれば、もしかしたらAIを使用したほうが能率的かもしれません。しかしAIからは得られないもの、例えば皆で協働すること、ともに考え、作業していくこと、意見の違いを話し合いで解決すること、お互いを大切にするためにどうすべきか、新しいものを生み出すにはどうしたらいいかなどを考える。そうした学びが、学校に求められるのではないでしょうか。本学は協働して学ぶ場所であり続けなくてはいけないでしょう。

AIやロボットによる仕事の効率化が進み、今後余暇の時間が増えるかもしれません。その時「楽しいと思えること」や「生きがい」が大事になってくると思います。人と共に生きることや芸術・文化・スポーツの重要度が増します。本学の中に文化施設があり、そこでリカレント教育ができてもよいのではと思っています。本学が文化発信の中心となれたらよいでしょう。そして本学だけではなく、青山・渋谷一帯を巻き込んで、スポーツ競技や文化芸術の発信の中心になる。そのようにできたら楽しいですよね。

伊藤 母校愛という言葉がありますが、「母港愛」という表記がよいと思います。一度出て行っても、いつでも戻ってこられる港のような場所となるように、そしてここに来れば何かあるという場所になるように。学生たちの雇用の場や専門性を活かせる場となれればと思います。そして、そこからまた出港していく、外に開いていく港となりたいですね。

山本 学院内が雇用の場となるというのはいいですね。青山学院の理事長も務めた万代順四郎は貧しい家に生まれ、学生時代は学内で働きながら学びました。昔の学生雇員のように、ここで学びながら働けたらいいですよね。労働環境もいいですし、それで学生の退学をなくせたらなおいいですね。

メッセージ

鵜飼 最後にメッセージをお願いします。

伊藤 本学を創った最初の宣教師たちは自分たちの殻を破り、生まれ育った国を飛び出し日本へとやってきました。彼らの志と同じように、ミッショナリーマインドを覚醒させ、自分たちだけの世界にとどまらずに外に飛び出していく。新しい社会を創っていくという勢いで飛び出す。本学がその中心的な役割を果たしていければと思っています。

山本 サーバント・リーダーのサーバントマインドは「奉仕の精神」として、受け身的に捉えられがちです。しかし、サーバント・リーダーはむしろ積極的に出ていく人のこと。すべての人と社会のために、進んで責任を果たしていく。善きサマリア人のたとえ(ルカによる福音書第10章25〜37節)にもあるように、他人事とせずに自分事として捉え、弱い立場の人に寄り添い積極的に手助けする人になってほしいと願います。社会に出て成功されたら、世界で困窮する人のために、自分の力を進んで使う人になってほしいですね。

鵜飼 私自身も青山学院の一員としての誇りと責任を改めて強く感じました。本日はありがとうございました。

2026年7月7日